就職氷河期世代、またの名を最後の昭和世代!

閑話

就職氷河期世代と名乗る事で生じるマイナス思考

私たち就職氷河期世代は、厳しい就職環境の中で多くの困難や不遇、冷遇を受け続けてきた世代として語られることが多いです。大手企業が新卒採用枠を大幅に削減したため、何社も応募してもなかなか採用に至らないのは普通のことでした。不本意ながら契約社員や派遣社員として働くことを余儀なくされる人も多く、正社員になっても給与は上がらず、経験を積む間もなく上の世代の穴を埋めるように昇進させられ、増えるのは苦労ばかりでした。
自分自身の体験から、不遇な扱いを受けた世代だと言うことは否定できません。この先の社会保障制度等の改革の話題を聞いていても不満は募る一方で、正直「就職氷河期世代」という言葉を出すと、苦労話に不平不満、憤りといったことが次から次へ湧いてきます。

しかし、不満ばかり語っていても、人生がつまらなくなる一方です。そこで、私たち世代が該当する別の見方として、「最後の昭和世代」という視点でこの世代を見直してみることにしました。そうすると、実は私たちの世代も悪いことばかりではないのではないか、と思えてくるのです。

昭和の記憶とアナログな暮らし

私たちは昭和生まれですが、昭和という時代を生きたのはせいぜい10年程度です。これまでの人生でも、既に昭和よりも平成を生きた時間の方が長いですし、令和ですらも、もうその半分を超えています。

それでも、自分が昭和世代であると実感するのは、「三つ子の魂百まで」の言葉通り、幼少期を昭和の空気の中で過ごしたからでしょう。あの頃の1日は今よりも途方もなく長く感じられ、その時間の中で遊び、学び、泣き、笑い、多くの思い出を積み重ねてきました。そんな私に根付いているのは、間違いなく昭和なのです。昭和後期に生まれた私たちは、約10年の昭和時代の中で、今の若い世代とは全く違った暮らしを経験してきました。

音楽の楽しみ方

私の幼少期、音楽を楽しむ手段としては、レコードや録音済みのカセットテープなどがありました。
しかし、私や私の私の周りの友人を含め、多くの子供達が音楽を楽しんだもう一つの手段がありました。テレビで流れる音楽番組の音声や、ラジオ番組でかかる音楽を、ラジカセでカセットテープに録音するのです。そうやってコレクションを増やし、楽しむのが日常の風景でした。
録音のタイミングを逃さないように手早くボタンを押す緊張感や、録音中に家族みんなで音を立てないよう息を潜めていたこと、うまく録れなかったときの悔しさすらも、今では懐かしい思い出です。ただ音楽を聴くだけではなく、その体験そのものに温かさがありました。

連絡手段の違い

電話は、スマホが当たり前の今とは違い、家に固定電話が1台あるだけでした。
待ち合わせをするにも「○時に△△の前で」と事前に決め、相手が来るのを信じて待つしかありませんでした。連絡を取るためだけに家に待機していると言うこともありました。大事な電話番号は全て記憶していました。
連絡がすぐ取れない不便さはありましたが、その分、縛られることのない自由な時間を楽しめていました。

家庭内の暮らし

テレビにはリモコンがなく、チャンネルを変えるためには本体の所まで歩いて行き、ダイヤルを回さなければなりませんでした。家族全員がリビングに集まり、同じ番組を見ながら自然と会話が生まれる光景は、今の個々のデバイスに没頭する時代では味わえない温かいコミュニケーションの場でした。
また、洗濯機は二槽式で、洗濯とすすぎを分けて行わなければならず、手間ひまがかかるぶん、家族の助け合いが自然に生まれていました。

風呂の文化

今のようにボタン一つでお湯が貯まるわけではありません。
蛇口から水を出して、貯まった頃を見計らって水を止めに行きます。種火をつけ、貯まった水を湧かし、いい湯加減に湧いた頃を見計らって再び火を止めに行きます。水を入れすぎたり、湯を沸かしすぎて水を足したり、そんなことが日常的にありました。また、夏休みなどの度に訪れていた親の実家では、薪を使ってお湯を沸かしていました。風呂場も母屋には繋がっていないため、一度屋外に出て風呂場に行くという不便なものでした。このような経験は、私たちの世代でも都会暮らしでは普段はなかなか体験できるものではありませんでしたが、地方ではまだよくある風景でした。学校が長い休みに入る度、おじいちゃん、おばあちゃんの家に泊まりに行き、このような私たちよりも更に一世代前の暮らしを彷彿とさせる新鮮な体験をできることがとても楽しみでした。

アナログとデジタルのバランス

このように、昭和の暮らしは手間がかかることばかりでしたが、その中で効率やスピードよりも、人と人とのふれあいや、苦労を乗り越える経験を自然と学びました。
一方で、平成・令和の世代は、スマートフォンやインターネットといったデジタル技術に囲まれて育ち、情報の即時性や効率を重視する時代を生きています。一見するとただ不便なだけの状況を、回り道をしたり手間暇を掛けたりすることの面白さを知ったり、温かみのあるコミュニケーションを感じる機会が少なくなっているかもしれません。

私たちは、昭和から平成、そして令和への変化をリアルタイムで体験しながら成長してきました。
インターネットが普及し始めた頃は、電話回線を使い、接続時間を気にしながらネットを利用するのが当たり前でした。それがやがて定額制となり、回線速度も飛躍的に向上し、今では手の中の携帯端末でどこでもネットに接続できる時代になりました。

音楽体験はかつては音楽をCDで楽しんでいましたが、やがてダウンロード配信が普及し、現在ではサブスクリプション型の音楽配信サービスが主流となっています。その結果、ショップに出向いてCDを購入する手間がなくなり、好きな音楽をすぐに手に入れることが可能になりました。

写真に関しても大きな変化が見られます。かつてはフィルムカメラが主流でしたが、それがデジタルカメラに置き換わり、今ではスマホで札うぃする機会が圧倒的に増えています。フィルムを現像に出して待つというプロセスが一般的でしたが、スマホで写真を楽しむことが一般的になると、撮った写真は各々の端末上で手軽に楽しむことができるため、写真を印刷する機会も大幅に減少しています。
こうした変化をひとつひとつ受け入れ、柔軟に適応してきたのが私たちの世代です。

私が選択したFIREという生き方も、現代の利便性と効率的な暮らしの恩恵を受けている一例です。今のように手軽に投資情報にアクセスできる環境があれば、FIREの敷居は低くなり、資産形成も容易になります。
しかし、現代の効率やスピード重視の生活スタイル自体は、FIRE生活の本質とは相反する部分もあります。FIRE生活は、時間に縛られず、自分好みに手間暇をかけることで真の自由を享受できる生き方です。
タイムパフォーマンスを重視する生活とは真逆の価値観であり、私の中に流れる昭和の血が、無意識にFIREへの選択を後押ししていたのかもしれません。

デジタルネイティブと呼ばれる若い世代は、テクノロジーの扱いに長けており、SNSやオンラインサービスを駆使する能力に優れていると言われています。しかし、アナログとデジタルの両方を体験し、技術の進化と共に育ってきた私たちは、技術に振り回されるのではなく、うまく活用する術を自然と身につけているという点ではどの世代よりも長けていると感じています。このバランス感覚こそが、私たち最後の昭和世代の強みなのかもしれません。

最後の昭和世代として

私たちは、アナログな時代の不便さや苦労を経験しながらも、その中で生まれた温かさや人情、手作りの価値をしっかりと受け継いできました。たとえ就職氷河期という厳しい環境に置かれたとしても、昭和時代の記憶が私たちに柔軟な思考や豊かな人間性を与えてくれたのは確かです。

最近、若い世代の間では「昭和レトロ」がファッションとして人気を集めていますが、それは主に見た目や雰囲気を楽しむに留まるものだと思います。真の意味での昭和の良さ、すなわちアナログな生活から培われた温かい価値観や、人と人との直接的なふれあい、そして手間ひまをかけることで生まれる豊かなコミュニケーションは、今後の社会で再評価されるべき大切な財産だと信じています。

こうして振り返ってみると、私たちの世代は決して「不遇」なだけの世代ではなく、デジタル化が進む現代において、アナログな体験から得た独自の価値観を持つ、貴重な存在であると感じます。捨てたもんじゃないですよ。

 

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